中華五術

自分を変える – 陰陽五行思想に学ぶ運を切り開く方法

環境に支配されない自己コントロールの重要性

私たちは、環境に大きく影響を受けながら生活しています。失敗を繰り返す癖を持っていたり、家族の性格傾向に似通っていたりするのは、環境の影響を強く受けているからです。

しかし、私たち自身が環境を選択し、自らをコントロールすることができるのです。「運をあやつる」とは、結局のところ自分自身をコントロールすることだと言えるでしょう。

そのためには、まず自分自身を知ることが重要です。自分が何者で、何をしたいのか、どのような生活を望んでいるのか。自分の立ち位置を明確にしなければ、方向性が見えてきません。

環境に惑わされることなく、自らの意思で生きていくためには、自己理解と自己コントロールの力が不可欠なのです。

運を操る人の気

私達は、いつも、私はいつもミスをする。失敗をすると、自分の中にルーティンのように暗示をかけて生活をしています。これは、人の歴史が、失敗の繰り返しから起こる癖と言えます。
子が親に似たり、家族の癖がをみて、よくにていると思うように、生活環境を変えない限り、同じことを繰り返します。

いつもの俺

いつもミスをする。失敗をする
面白くない、ダメだ、やってられない。
楽しくない 

人は、環境から知らず識らずのうちに影響を受けています。運をあやつろうとする時、まず知るべきは、自分の立ち位置です。
★ 自分が何者なのか、
★ 何をしたいのか、
★ どのような生活をのぞむのか

自分が、現在どのような存在として、生きているのかを知らないと、向かうべき方向がわからななります。

運をあやつるというのは、結局自分をコントロールすることでも言えます。
私達は、思っているより、自分を知りません。歌って、踊って、恋をして、のほほんと生きるのも、自分が決めているのなら、そのような人生です。

運をあやつる方法は、自分を操ること、自分を知ってコントロールすることです。そのためには、自分の置かれた環境を知ることが、とても重要になってきます。

運をあやつる大地に生命エネルギー

古代中華の時代。風水草創期に生まれた偉人には、大地の気をあやつり、人の運を良くしていった偉人も多くいました。古代中華において、考え、体験する中で、生活する環境、全てに気があり、物心両面に気が変化しつくられていると考えられています。古代中華の初期、人ともいわれぬ 盤古が死に自分の体を森羅万象の様々なものに変化させました。森羅万象、すべてが盤古の体でできています。 盤古が亡くなったのち、伏羲と女媧という兄妹が世界の成り立ちとしての先天八卦や生きてゆくすべを人に伝え、天地人の三才観を伝えました。このことを通じても、天の気 地の気 人の気は、混ざり合うことができる同じ生命エネルギーであることがわかります。

人の体には、気という生命エネルギーが流れていて、任脈、督脈という陰陽の気の流れが、体を支配し、ツボ、経絡といった、目には見えないが、体の調子や、状態を整える場所が存在していることも皆さんの知る限りです。

大地の生命エネルギーを取り入れる

古代中華思想では、大地にも生命のエネルギーが流れていると考えられていました。

盤古という存在が死んで、その体が万物の源となったという考えは、大地そのものが生きた存在であることを示しています。そして、その大地の生命エネルギーは、人の命にも影響を与えるとされているのです。

たとえば、先祖の墓地の場所によって、後人の運命が変わってくると考えられています。良い気の流れる場所に埋葬されれば、後人に福をもたらすが、そうでなければ悪い影響を与えるというわけです。

つまり、大地そのものが生命力を持ち、人の運命に深くかかわっているのです。だからこそ、大地の気を取り入れることが、自らの運をコントロールする上で重要なのです。


盤古がなくなり、森羅万象になった天地もまた、生命が流れるツボ、経絡が存在しています。

盤古とは
天も地もなく、深い淵のような、混沌の時、盤古は存在していました。
盤古の成長は、長い時間の中で、成長し巨大な人物になりました、天も地もない混沌の世界。大きいといえばひたすら大きく。でかく膨大でした。しかし、この盤古も死を迎え死に絶えますが、亡くなった盤古は、万物の元となりました。
その声はカミナリとなり、その息は、風となり、左目は太陽となり、右目は月となり、髪の毛やひげが天に散らばる星々となつて、人の運勢の指針となりました。汗は雨となり、人がひたいに汗した時、恵みの雨を降らせ、手足は人が生きていく大地の4本の支柱になり。人を東西南北から見守り、体は五つの名山となりました。(東岳泰山,南岳衛山、中岳嵩山、西岳華山、北岳恒山)、血は、河となり、肉は大地に、皮や体毛は草木に変化し、骨や歯は、地中に残る金属や、石になりました。精液と骨髄は、真珠、翡翠という貴石となりました。
その後、伏義と女媧が地上に誕生し、人々が生まれてきます。

生命のあるものが、生命を生んできたこの世界ですので、生命のないものは、一つもなく、どんなに小さいものも、生命力という、気は存在します。人がなくなることは、消滅してしまうことではなく、別のものに変換し、そのエネルギーは無くなったわけではありません。消えてなくなるわけではありません。

亡くなつた人の祀りかたで変わる我が人生

葬者乘生氣也 五氣行乎地中 然而生乎萬物、
人受體於父母本骸、得氣遺體受廕、
經曰、氣感而應鬼、福及人

葬者は生気に乗ずる 五行の氣は地中をめぐり 万物を生む人は体を父母のムクロから受け 氣を得て体を育て のたまわく 死後の氣を受けて 人は福をなす。

“父母の命は大地に帰り 五行の気は大地をめぐり、その生気は 生きている子孫に影響を与えているわけです。“

死後 魂魄(こんぱく)は、父母のムクロと同じ肢体を持つ後孫に幸せをもたらすのですが、そのためには、父母のムクロから生気が出る場所に埋葬しなければなりません。
それは、なぜか。良い場所に埋葬された父母は、大地の良い気を受けて、後孫に良い気を流しますが、悪い場所に埋葬された父母は、大地の悪い気を受けて、後孫に悪い気を流します。

したがって、良い気は 良い気を生みますが、悪い氣は 悪い気しか生まないことがわかります。

運をあやつろうとするなら、自分を作った過去にも目を向けるべきです。そのためにも、父母の存在は、重要になってきます。

五行説 相生 相克 比和、干渉しあい、生存、繁栄、成長をする。万象の変化の法則 五行説、相生、相克、比和 占術は、理論上にある技術 古代の中国では「陰陽」とともに「木(もく)・火(か)・土(ど)・金(き...

大地も生きているので、大地にも生命の気がある

古代中華の考え方は、何千年と経験と実践を繰り返し導き出したものです。私達は、どんな時も、そんなん科学的ではないとか言いますが、何千年と経験と実践を重ねた研究である以上、それは、科学的と見てもいいのではないでしょうか、

大地に流れる気は、祖山から、玄武山としての主山を超えて、地下に潜り込んで、首のほねのように連なる連山を超えて、穴から明堂にかけて流れ、東西を白虎山 青龍山に囲まれ平地としての明堂に豊かに良い気を蓄え流れ、朱雀山に河の流れをうけて抜けてゆきます。

背後をしっかりとした山 玄武山の位置を(座山)といい 左右の連なる山は、白虎山 青龍山は、(砂)といい、山並みを超えて地中から出てくる気の流れ出す場所を(穴)と言います。穴からなげれた良い気の貯まる場所が明堂といい、明堂から眼下に広がる地を朱雀と言います。

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私の中に良い気を取り込む

私達の体もまた、天の気を受けて、任脈、督脈という奇脈をつうじて、体を良い気が回るようになっています。循環するものは、絶えず生命力に満ちています。目に見える血流は食べたものからの栄養分を運び、体に力をあたえます。また、天と地から受けた目に見えない良い気は体をめぐり、魂魄の成長の力となります。
つまり、目に見える栄養素は、体を作り、目に見えない良い気は、魂魄、心をつくる素材となっているのです。

このように私達の住む世界は、人間の型ににているため、人が営む生活自体、環境も、人に似てつくられています。これは、アイテムやデータはすべて私の中にあり、そのアイテムやデータ、アカシックレコードを使うのか使わないのかは、自分の心に委ねられています。

人は天から流れる天気と地から流れる地気を受けて、人気が上がるのです。これを、天地人の三才観といいます。

天地人の三才観から導く自己理解

陰陽五行思想では、人は「天地人の三才」の一部であると捉えられています。

天の気、地の気、そして人の気が一体となって、宇宙の摂理を成り立たせているのです。私たち人間も、この三才の一翼を担っているのであり、自らの内なる天気、地気、人気のバランスを理解することが重要となります。

たとえば、自分の体内を流れる任脈や督脈の気の流れを整えることで、健康的な身体を保つことができます。また、自分の心の中にある陰陽のバランスを把握し、調整することで、より良い人生を送れるはずです。

このように、天地人の三才観から自分自身を深く理解することが、自らの運をコントロールする第一歩なのです。

環境を変えてみる。

人は、五感で感じるものから、多大な影響を受けて生きています。
テレビを付ければ、いいニュースより、悪いニュースが、耳に飛び込んできます。毎日の生活の中で、五感は知らない間に多くの情報で怪我され、あたかも、それが、自分の意見であるかのように同調します。
人は、環境に支配されやすい動物であるとも言えます。日本で住めば、日本民族の一般常識を受けますが、アメリカに行けば、日本の常識は、非常識になります。ドイツに行けば、そこの環境が常識です。

人は、環境に支配されやすいのです。ですので、環境を変えるのも、一つの方法です。自然の豊かなところに行ってリセットするのも、運をあやつるには、もってこいです。占術で、東西南北良い方向を知って、最低二時間良い気を受けてかえることをおすすめします。

癒やされた俺

癒やされる。たのしー
うれしー燃えるぜ。

大地の良い気を受けて、天気、地気 人気が貯れば、エネルギー満タンで、生きる方向も見えてきます。部屋にこもり、ゲームをするのが日課だとしても、外に出て、五感を刺激してみることがいいのではないでしょうか。

人は、しあわせになるために生きています。誰ひとりとして、不幸になることを望んでいません。
俺は、不幸になりたい、という心があるのなら、それは、生命エネルギーが枯渇しています。生命エネルギー気は、人の幸せを望み、良い方向へ行くことを望みます。不幸で有りたい。と思う心は、自分の心ではなく。知らず識らずに植え付けられた情報で、自分がコントロールされているだけで、自分で自分をコントロールしていません。運をあやつるためにも自然の中に入り込んで、心を見つめる時間があるのも良いではないですか。

易経に、「悪を遏(とど)めて善を揚(あ)げ、天の休(おおい)なる命に順う」
「吉凶成敗は天に在っても、それを招くゆえんは人間にあるのだ」

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吉凶成敗の根源は人にある – 易経の教えから

易経には、「悪を遏えて善を揚げ、天の休命に順う」「吉凶成敗は天にあっても、それを招くゆえんは人間にあるのだ」といった教えがあります。

つまり、善悪、吉凶は天に宿るものの、それを引き寄せるのは人間の心と行動にあるということです。人は自らの意思によって、自らの運命を切り開いていくことができるのです。

この易経の教えは、まさに自己コントロールの重要性を説いているものと言えます。環境に呑み込まれることなく、自らの心と行動を正すことで、より良い未来を切り開いていくことができるのです。


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