中華五術

八卦占いの元となった神話の住人 伏羲と女媧

神話の住人

伏羲(ふつぎ)と女媧(じょか)

人の歴史の中には、どうしても神話的、伝説的なものが多くふくまれます。文字の文化がなかったり、口伝えの話であったりします。現代人としては、そんなのあるはずないじゃん
とひとくくりに一掃するのも多くあります。そんな神話の時代に生きて、易経の礎とも言える八卦を生み出したのが伏羲(ふつき)です。

伏羲は、たえずこの世の理を探し求めて散策していました。
この世を知ることは、これから生まれる古代中華の人民を幸せにするために必要なことと感じていたからです。その伏羲の考えることはでした。考えることが善なので行動もまた善でした。その行動は、絶えず、わが子の安寧と安らぎ、幸せを考えての行動でした。

龍馬と出会い 背中の模様

そんな伏羲の思いに同調したかのように、伏犠が黄河のほとりを歩いていると奇妙な動物に遭遇します。顔は龍、体は馬と言われる 龍馬(りゅうめ)に遭遇しました。目の前に現れた龍馬の背中に刻まれた模様が先天八卦と言われるものです。

もっともこう言ったことが事実であるのかわかりません。絵や文字で書き残すのはずっーと後の時代でもあります。仮にどこかに壁画として残したものがあればいいのですが、そんなものは残っていません。

それが、先天八卦はこの「河図」によって伏羲が創ったとされる方位図になります。
陰陽説の原本となった「河図」(かと)は図として先天八卦として原型として残されました。

伏羲

伏羲は、紀元前3300年頃古代中国において伝説上の皇帝としてあらわれてきます。
物を書き残す紙がない時代ですので、人々の記憶をつなげながら、口上で伝えられるのですから、尾びれ背びれがつくのも当たり前で、伝言ゲームの最初と最後ではまったく別物になってしまうようなものですが、古代中国の書物に多くの物語として伝えられ、各部族の伝承としても残っています。

伏羲皇帝が様々な呼び方で古代中華に影響を与え、今なお、人々に影響を与える陰陽、八卦を伝ていることも事実であります。

「史記」によれば伏羲は、燧人氏(すいじんし)の代わり王となり、結婚の制度をつくり、人々に漁猟(ぎょりゅう)を教え家畜を養い、物事の本質を教えて、天を仰いで天象を観察し、附(ふ)して地法を観察し、あまねく鳥獣の模様と地形の形勢(けいせい)を見極め、近くは自身を参考として、遠くにあっては物事を参考にし、初めて、八卦を表して万物の本質を適合したとあります。

「史記」三皇本紀に『太暤伏羲氏は風姓である』とあり風は雷と関係し雷は一つながり「准南子」天文篇において、伏羲は東方の雷であり、木神の旬芒により補佐され、規をもって春を治めるとあり、五行を作り出す基本を表しています。

易経の編纂された書物。

繋辞伝(けいじでん)には
「河出図 洛出書 聖人則之」
河図を出す。洛(らく)書を出す。聖人、之に則る。(これにのっとる)

伏羲と兄弟とも夫婦ともいわれる女媧(じょか)ですが表す絵図には足を絡ませて立っています。これは、天の混沌から生まれた二気が絡まり合い。天の大いなる力を示しています。混沌から一元 陰陽二気がいまれてはいますが、自然界の法則性を探求する中で、天の法則を表したと言えます。

伏羲の先天八卦は、易学、風水 医学 思想 宗教の根幹基本となっている事は、易や漢方を学ぶと当たり前のように出てきます。
神話の世界の住人としても伏羲は、この世の生業を、先天八卦 「河図」で残しただけでなく。古代中華の文明文化に多くの痕跡を残しています。このように、伏羲も女媧も、後世に多くの大切な宝を残しました。伏羲と女媧によって古代中華は神話の世界から、文化的中国へと生まれ変わりを遂げてゆきます

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兄弟夫婦神話

世界には人類誕生に必ずと言っていいほどに兄弟関係から夫婦になり人類誕生する神話が多く存在します。有名なところでは、聖書の創世記に出てくるアダムとエバもエデンの園で生きているときは兄弟でしたが、追い出されたのちは、夫婦となり子をもうけています。
さて、伏羲と女媧も、お互いの存在や価値を天から降りてきてこうして、天地の理を解明するために使わされたのかもしれません。

易学によれば、宇宙の根源である太極から陰陽の二気が生じ、二気から四象が生じ、四象から八卦が生じるというようにして、宇宙は創成された。これも宇宙の根源が男性と女性の二性を兼ね備えた存在であり、その二性(二気)によって宇宙は生まれたということを示しているのでしょう。つまり兄弟として生まれたというのは、天帝の下で同じ腹から生まれたことを意味します。

無極が混ざり太極として成長した感情は、やがて二極 陰と陽に分かれますが、お互いを尊重するかのように下半身を絡ませることで、次の四象 八卦 六四象と変化成長を遂げてゆきます。

陰陽五行思想が示す自然と人間の調和 - 色、音、そして宇宙の秩序 五行と五つのエネルギー 陰陽五行説は、古代中華において、人々の生活において深く浸透していました。 自然界の色を陰陽五行で分...

伏羲と女媧の逸話

伏羲と女媧と神農を合わせて「三皇」と呼ばれています。
伏羲と女媧の夫婦は、天地ができたばかりのころ、頭は人、下半身は蛇という人頭蛇身の半妖ともいえる姿で、高橋留美子先生の犬夜叉にでてきたら確実に悪者として書かれてしまうかもしれませんが。その心根は、絶えず 生きる人の幸せを求めていました。
そして、伏羲の左手に持つコンパスと女媧の右手に持つ直角定規は、この伏羲と女媧が宇宙の秩序を管理し、統治していたことをいみしました。

またその夫婦の下半身のからみは、いかにも夫婦の営みを表していて、幸せの根本は夫婦において、夫婦の営みが宇宙の調和と秩序を生み出すことを表しています。伏羲と女媧は、最初の男神、女神として誕生します。(風俗通羲)(ふうぞくつうぎ)より

女媧は 土をこねて人を造り、宇宙の法則を伝え、田畑を耕し。人を人として育てました。古代中華の思想の中には、天を父として、地を母とする中華文明からすると、女媧が地にかかわり、水にかかわる女神だつたからでしょう。女媧は、伏羲の妹であり、妻として伏羲を補佐しました。古来より、幸福の最小単位は、夫婦から生まれるため、家庭が社会の基本となります。

華胥、男子為伏羲、生女子為女媧 故世言女媧伏儀有之妹(通志」(三皇紀)
華胥、男子を生んで伏羲とし。女子を生んで女媧とし。故に世間では女媧は伏羲の妹した
女媧 古神女而帝者 人面蛇身 一日七十変(山海経)(大荒西経)
女媧は古の神女だあり、天帝だったもの、人面にして蛇身だある。一日七〇変する

有神十人、名曰女媧之腸、化為神
十人の神ありて。これ女媧の腸 神となる
俗説天地開闢 未有人民 女媧博黄土作人 劇務 力不暇供 乃引縄絙于泥中 挙以為人
天地が開かれたときまだ人民がいなかった 女媧は黄土をこねて人を造ったが とても劇務であったので、力を費やすことができず、縄をどのの中でかき回し引き上げて人を造った。

さても、人の創造が劇務の中で行われていたので、泥に縄を入れてかき回しこねくり回して人を造りました。しかし、この俗説の中にあるように、天地開闢(てんちかいびゃく)の時、縄で泥をかき回しました。縄は、二つのひもを絡ませて造るように、人のDNAも螺旋を描き絡まった状態です。人が造られていく過程はなんとも雑な気がいますが、つまりは縄というDNAで、その縄(DNA)で混ぜ合わせ成分が人の体の中に全て入っているといえるのでしょう。つまりは世にあるすべては人の体の中にもすべてあるということです。

縄は、二つのひもを絡ませて造るように、人のDNAも螺旋を描き絡まった状態です。人が造られていく過程はなんとも雑な気がいますが、つまりは縄というDNAで、その縄(DNA)で混ぜ合わせ成分が人の体の中に全て入っているといえるのでしょう。つまりは世にあるすべては人の体の中にもすべてあるということです。

先天の図 伏羲先天八卦方位

伏羲が河図より作ったといわれる,天の気が地に向かって下降し,地の気が天に向かって上昇し,その両者が大気中にて交わり,その力によって万物が育成するという天地自然の本質の図となっていて、伏羲先天八卦は天と習わしを読んだ図と見ているために 後世において出てくる 文王 後天八卦とは図の形式が変わってきます。

伏羲の先天八卦方位図が表す内容は、天から陰陽二気男と女が分かれ結婚し 子を設け 育て発展していくことを表しています。父母がいて、長男 次男 三男 長女 次女 三女の八人家族として表しています。

天の並びを表す。伏羲先天八卦の並び   
「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」

易経は古代中華の書物

中華五術の中にある「卜」(ぼく)が 亀の甲羅や丑や鹿の肩甲骨を火で炙りその割れ具合で吉凶を占うのに対し、「筮」(ぜい)は蓍(めどき)の茎をもちいた占術ですが、後世、このような占いのもととなったのが、伏義の無極から二気 陰陽の2つのエネルギーが相生 相克 比和を持って森羅万象の変化をときました、この易経の著者と言われていて、「易経」「黄帝内経」「山海経」とあわせて上古三大奇書と呼ばれている

【易の基本】先天八卦と後天八卦の違いを解説!天から見た図と地から見た図の違いが明確に 先天の図 先天八卦 先天八卦と後天八卦の違い 結論から言ってしまえば、先天八卦は、天の側から地を見た八卦図です、逆に後天八...
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