豆知識

【風水】地形と龍脈が織りなす風水の世界 – 古代中国の知恵が現代に活きる

覓龍(べきりゅう)龍脈の見かた

風水にはおおよそ二大学派が存在しています。
葬書にでてくる蔵風得水の法、風水という命名をつけた郭璞(かくはく)から数千年のとき終えて、分裂統合を重ねて現代にたどりついて出てきたのが、形勢派、理気派(原理派)の二大学派です。その中で形勢派は、別名。江西派、巒体派ともいわれた、楊筠松を祖として形成して、地勢鑑定を行います。地勢とは、山の形を言います。大地を流れる「気」は形としてあらわれて、1000尺の範囲を勢。100尺の範囲を形としてみていて、主に勢には家や町がつくられ、形には陰宅が用いられ、墓や霊廟を建てます。
こういった山の形が単純に龍脈とみますが、私たちの体の中に流れる血液と同じく、生命を司る生命エネルギーが流れているように、山の下を流れる「気」生命エネルギーの大きさを観るのに、形勢をみていくのが形勢派と言えます。

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郭璞、葬書より、

古人聚之使不散,行之使有止,
故谓之风水。风水之法,得水为土,藏风次之。
经曰:外气横形,内气止生。盖言此也。

古えの人はこの風を集めて、拡散させないようにし、都城にこれを留めた。この故に風水という。風水の法は、水を得ることを最上とし、風を蓄えることはこれに次ぐ。
経(ゆえ)にいう、外気(水流)は横(東西)に流れ、土の中の内気は生に止まる、というのはこのことをいう。

地势原脉,山势原骨,委蛇东西,或为南北。千足为势,百尺为形。

地勢の原脈、あるいは山勢のもとの骨組みは、東西、南北に蛇行する。千尺(しゃく)の範囲を勢といい、百尺(しゃく)の範囲を形という。

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龍は山の峰から峰に続く線

良い風水は一本の気に例えていうなら、しっかりと根好き、大地から栄養を良く吸って、良い実をつけていると言えます。幹龍から支龍へとなることは吉の大地と言えます。
また、山の形勢は環抱(おっぱいのような丸い形)で、起伏し高低、曲折遠くから見たとき、環抱のかたちが重なって見えるのがいいとされています。


山が続く姿はとてもきれいで、季節の移り変わりの中で、木々が色好き、春は芽吹く季節として緑があでやかで、山桜が薄いピンクに染まり、そこかしこに藤の花がすだれ、紫に香り、めで良し、かぐわしい季節の山の連なりは、龍のうろこがバタバタと変わる様に似て、あでやかに輝く7色のなんとも言われぬ雄大さを感じます。

夏には深緑に日の光が当たり、けたたましいほどの遠吠えにも似て、山が鳴るそんな感覚とともに龍のうろこがパタパタとうごめく、そんな感覚さえ感じられる大地から今にも起き上がり、天に上る龍を連想させます。

季節により、龍脈は大地の中にうごめくエネルギーを見せてくれます。中国では、蛇が動く形、胴体を上下に動かすと言われていて、風水でいうところの長い山並み。峰から峰が続く長い距離にわたる山の稜線を龍と言います。このように、山の形が、蛇や亀、ゾウや牛が横たわっている形が良いとされ、(喝形)と言います。

高い山は陽山として立ち、底に流れ、渓谷をつくる水は陰水という陽陰をバランスよく保ちます。見て美しいと感じるこういった陰陽バランスのよい形がまさに龍の定義と言えます。

最近はgoogleearthで地球全体を観ることができるので、形としてみるだけであれば、パソコン上でもわかりますが、その場に行かなければわからない、大地に立ってみた景色と、パソコン上での景色は大いに違います。

龍は水が分かれているとき動き、落ち合う時止まります」これは、当たり前といえば当たり前ですが、小川が大川に流れ込むとき、陸地は途切れます。大川の水が海に流れ込めば、陸地は切れます。水の流れは大地を削り、川の流れとともに土や砂を海へと押し流し、大地は削られながら川の末端で龍は止まります。

幹龍(かんりゅう)と枝龍(しりゅう)

神社にある神木を見て綺麗だと思えるのはしっかりと幹が大きく、スクッと立つている雄大さがあると見ていて感動さえ覚えます。また幹から広がる枝の根元と先端に広がる姿と隙間から陽の光が溢れて見える時、気持ち良いと感じます。

自然に対して人は同調する、感応するというものは、誰しもが持っている感覚ではないでしょうか、大木を見ていい木だなと感じるものと同じように、主山から連なる山並みが幹龍です。その幹龍を見て美しいと思えるなら、その幹龍は非常に良い龍といえます。
また、その幹龍から枝分かれした枝龍の姿を見て綺麗であれば、良い枝龍でしょう。

幹龍にしても枝龍にしても龍ができるためには、山が高くなだらかである必要があります。土砂崩れや、突然大川に落ち込むように削られた山は、見ていて怖いと感じるような場合いい幹龍と言えず、小川の横にある枝龍も同じです。

つまり、幹龍や枝龍ができるところには、必ず、水の流れがあり、川や渓谷が存在します。祖山、主山が繋がる龍として見た時綺麗な山並みとして見えます。
これが、ビルを幹龍、枝龍としてみる場合、街並みが綺麗に感じる時、
小高い山上に主山として見えるのがだいたいお寺や神社を基準に下になだらかに家が立っています。幹龍が良いと見えますが、小高い山上に立っている寺や神社、大きな家が廃れている場合

幹龍は荒れ果てていると言えます。それは枝龍も同じです。

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ブラジルや、コロンビアの街のはずれに山から降るようにスラム街があり、バスから見た姿は汚れてなんとも見た目が恐ろしく見えます。これは、国の運も廃れていると言えます。幹龍が汚れていたり、枝龍が汚れているというのは、大木に栄養が入っていなくて枯れてゆくのと同じです。

幹龍、枝龍が見た目、綺麗だと気はスムーズに流れているので、末端まで良いものが流れていると言えるでしょう。自分の家を見た時、自分の家につながる街並みがどのように自分の家に繋がっているのか見るだけでも、自分の家が良い気を受けているのか、良い気を受けていないのかわかります。

大きく幹龍、枝龍をどう見るかは、小さく見ると、自分の家が街の中でどういう位置にあるのか見てみると、大通りの中で立つ家なら、幹龍の中の家と言えますし、路地に入った家なら枝龍の中の家と言えます。

龍脈を探す。幸福の源、

吉凶禍福は綱のように交互にいりまじり、人に絡まるように言いますが、そうではありません。人は幸せになるべくして生まれてきています。

風水とは、

風水は、環境を私たちの生活に生かす環境学と言えます。ただ、神話の時代、盤古、伏羲、神農、五帝、黄帝 禹王と、とても古い時代より使われ、しかも、目に見えない「気」を扱うため、現代科学でいまだ証明できない「気」とか、龍気、龍脈、穴、明堂などと、科学用語でもない言葉が、ポンポン出てきて、頭は、お花畑かと言われても仕方ないわけです。

と言っても、長い歴史の中で、体験実験を繰り返してきた環境学でもあります。
現代科学で解明できないから無いのかと言えばそういうわけでもなく、いまだ解明できていないが、経験上このように風水を使うことで、幸せを感じれるのなら使わないということもないと思うわけです。
上の理想的な風水の地形を表す図にしても、実際、この図に当てはまる場所など見たことがない、が、しかし、であるこのような理想の図を観ることで、なるほど、このような土地が、いい場所なんだとイメージはできる。
人とは、想像できる生き物でもある。ただやみくもに生きているわけでなく。地球上の生き物を見つけてら、名前を付けて分類し、研究し、実証してゆく。無知ではいられない
壮なんです、無知ではいられない、探求心や、創造性は、人に与えられた特権だし、この特権を使って、幸せにもなれる。欲望があふれ出して、生きていけるわけです。
風水とは、「気」を扱う環境学なので、うさん臭いものです。

明堂とは

風水は、古代中華で発達した技術であるため、「気」の発生地も中国、崑崙山から出た大きな「気」は、主山、入首の下を通過し、龍穴より出て河川により止められ、白虎砂、青龍砂により出た「気」がたまりこむ開けた場所を明堂と言います。

この明堂の場所は龍穴から流れ出た「気」がたまる場所でなければなりません。
ですので、たとえ良い「気」が出ている龍穴を見つけても、風が強く、「気」が収まる水がない場所では、明堂と言えません。
そのような場合は、周囲に「気」がたまるよう防風林となる、陽の木を植え良い気がたまるようになれば、明堂と言えるでしょう。



この明堂の大きさが、小さすぎる場合は、陰宅となり、墓や廟を建てるのが良く。家を建てるほどの大きさがあるなら、家を建てるのもいいでしょう。

日本より、儒教文化が深く浸透している韓国においては、ソウルの周辺にも、王の墓(王陵)がおおくあります。百済、新羅、高句麗、の王の宣陵の中がみえる博物館もあります。そのような王陵、宣陵は明堂に建てられているものが多く、蔵風得水の風水の型を築いていましたが、最近の都市開発で、蔵風得水の形が崩れてきているのは残念です。

龍脈とは、

風水と、明堂について、お話してきましたが、風水は、「気」を扱う環境学です。その「気」がたまる場所が、明堂です。その明堂に「気」を送り込んでいる道筋が、龍脈と言えます。
この龍脈の形により、「気」の質が変わってきます、
龍管貴賤(りゅうかんきせん)といい、龍脈の良し悪しで「気」が変わってゆきます。

例えるなら、人の血管でしょうか、 若い人の血管は、太く収縮が良く、血管に太い注射を打っても、その血管がまっすぐなので、注射がしやすく、採血しやすいが、初老の人の血管は、ぐちゃぐちゃと歪み若者のようにまっすぐではないので、血管に注射を打ち込むとき、パンパンと刺激を与えて浮き上がってきた血管に注射を刺せれたら採血もできます。

しかしもっと、年を取ると、腕を、ゴムバンドで絞めても、血管が出てきません。何度もさすり、刺激してやっと出てきた血管に注射を打ち込んでも、今度は、注射器のポンプを引っ張っても、採血できず、注射器を抜いたあと内出血をして、青タンができてしまいます。内出血起こしてしまうのです。人の体も年を取ると様々に障害が起こります。

さても、説明が長くなりましたが、龍脈も若く元気な龍脈、初老の龍脈、老人の龍脈とあり、「気」も質により、貴人(きじん)の質を持っていたり、賤人(せんじん)の質を持ちます。

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龍脈の育つ山

龍脈は見えない土の中を流れます。気は水によりとどまるので、水の流れに沿って押し出されてきます。見えないものを観るためには、内なるものは必ず表面に現れます。山の成長を観ることで、強い「気」なのか、弱い「気」なのかがわかります。例えば、人の喜怒哀楽も、見えませんが、その人の態度や行動で見て取れます。伏羲が、日月星辰を観て、地に下ろしたというのを見ても、盤古が自らの体で万象を作ったのを見ても、内面は外形に、心の状態は体に現れるように、地に流れる気脈は山の起伏、育つ樹木に現れます。

若い山

木々が若く、よく日が当たり、陰陽の調和が見て取れる。大地に養分があることで、樹木が育つということは、下に流れる龍脈の「気」が多いことにより、成長していることがわかります。
人が育つときもつやがあり、肌に張りがあり柔らかい、樹木が育つ土壌においても、やわらかく根が伸びることを妨げていない。幼樹木は遠くから見ると筆先のように見える。


成長初めの山

伸びる葉につやが見て取れる。大地の栄養を良く吸収し回転しながら上や四方に伸ばしてゆく、木がまっすぐ伸びるなら、地中の根もまっすぐに伸び、葉が広がりを見せるならそのように根も広がってゆく。若い山には、若い「気」が広がっている。頂上部より、水の筋が増え始め、毛細血管のように水筋が増えてくることで、木の境界線ができてきます。


成長した山、

成長をした木が伸びて、地面がしっかりとしてくるが、地面はまだ柔らかく多くの微生物が繁殖し、豊かな環境を創っていく。大地に流れる「気」も大地になじんで何年も、天の気を受け、地の気と混ざり、山を歩くと心地いい、地肌に苔が増え、動物が増えて騒がしいほどである。陰陽が調和しているところです。また、水筋がはっきりしてくるので、日陰を好む陰木も増えて来ます。


所々伐採した成長した山

成長した山には、成長した木が育ちます。たとえ、人の手で伐採しなくとも老木になれば、倒れますし、大きく伸びた樹木は、その大きさゆえに風雨を強く受けて倒れてしまいます。そのような木は、周りも巻き込みながら倒れるので、弱い木は大地からえぐられ倒れます。そうすると、山に穴が開く状態になり、風に当たる場所が多くなり大地の「気」は四方に流れてしまいます。
街中で、空き家が多い場合も、穴の開いた状態と同じなので、空き家は「気」が散じた場と言えます。


大木が多く切り取られた山

陽の気が強くなり、樹木が伸び切って山林は変貌していきます。大木は、高くなることで気の圧迫を受け役に立つこともなくなり、森林が密集し大木同士が接近しすぎると陰陽のバランスが崩れてくるため、気龍が乱れるため良い気のたまる場所とは言えない。
見た目にも、枯れた気が目立ち、地中の龍脈も減ってきていることがわかる。


良木が少ない衰えた山

1本の良木は悪木100本にも勝るが、良木が減った山は、あきらかに、龍脈も減ってくる。人を見ても、昔は大きく立派に見えた人が、ひとたび病気を患ってしょぼくれているのを観ると、大きく見えていたのがうそのように見える。それは、その人が持っていた先天の気,後天の気が減ることでそのように見えてしまう、山も、下に流れる「気」が減ると、良木も減り、つやが無くなる。木の枝がまわり、まっすぐに成長しない。自分の住む場所がそのように感じたなら、環境を変えるべきである。


極めて衰えた山

いよいよ枯渇した山であり、山としても終焉を迎える。土はやせて、高さも落ち込み、何年も使ったせんべい布団のようにつぶれてきます。枯た木も多く、松枯れというように虫に食われるのは、その木に力がないからである。人でいえば、免疫力が衰え、少しの変化で、風邪をひいたり、熱を出したり、あるいは温度調整ができない状態なので、「気」を含んだ風も筒抜けになり、とどまることもできません。


雑木が生えた衰えた藪山

枯れ枝や曲がりくねった木が多くあらわれ、山林は衰え、随所に木が枯れて見え、緑野のように深い緑や、白い箇所が多く見える。ひとたび大雨が降ると、土石は転がり高い峰がつぶれてくる。龍脈は見て取れない。地中より立ち上る、「気」の筋は見えなくぼんやりとした山を残すだけになってしまう。


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風水思想の意図するところは、龍脈から流れ出る「気」生気をいかに私たちの生活に取り組むかにあります。地中に流れる大地の「気」は膨大なエネルギーの塊で、その生気を受けることで、人の気と感応し、やる気、元気、という気力がみなぎり、叡知が沸き、挫折することに対しての踏ん張りがきいてくるので、結果として成功することがあります。

大地から湧いてくる生命エネルギーはを受けることで、人は、吉凶禍福を操作できるようになるのです。山によって、蔵せられた風と「気」は、四神砂により住んでいる家、集落、町,都市を豊かにしてくれます。

四神砂
基本 北に玄武山、東に青龍山、西に白虎山 南に朱雀山、朱雀水を言います。 

龍脈の種類

括龍

コブが起伏して美しい稜線をえがいて連山しています。気脈が美しいので、気力の充実した姿をしています。


死龍

起伏が崩れ、平たんに近い山並みをしています、一見穏やかに見えますが、直線的な龍脈なので、気が十分ではありません。


騎龍

頂上に陰宅、陽宅の建物がのっかっている山で、四方からの風を受けています。陰宅、陽宅の建物を建てた人物や、その後孫の運が衰退します。
有名どころでいえば、(岐阜の金華山。)など


赤龍

開拓、開墾されて、地肌の赤土が見えてしまっている山や、龍脈、土砂崩れや地震、土石流で大地が削れている場合も赤龍と言えます。非常に強い凶です。


平地龍

平地に一つできる山で、見ていて美しく突き出た龍脈を持っています。地中より吹き上がる「気」により長者の象徴と言える。(愛鷹山)など

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大都市東京の玄武山

日本が戦後、このように発展した背景には、東京を首都としたことがおおいにかかわっているかもしれません。
人が多く集まることにおいても、多くの気が集まっていると言えます。

1600年代において国内最大級の戦を関ケ原で行う以前、豊臣秀吉は、大阪城に鎮座し、時の朝廷の首根っこを捕まえ天下を取ろうと眼光つよく、北の守りとしての平安京を見据えていました。
しかし、かたや三河の田舎侍との徳川家康は、東の沼地と言われる。江戸に追いやられていました。朝廷を治めること=天下取りといわれた時代において、朝廷の住む平安京より遠くの地にいることは 明らかに不利とされていますが、実は、どっこい、土地を整備すれば、甘味なると地が、江戸でした。
霊峰富士を祖山として,小金沢山という2千m級の霊山を抜け、雲取山、和名倉山 三頭山、日光白根山とそれぞれの龍脈をこえて、東京都に流れ込んだ気は東京湾に流れ込みます。

人が基本となり、運気は回り始めます。どんなに良い土地でも、サルやキジや犬が集まっても、運気は変わりません、何千年動物が良い土地に住もうとも、その土地を活用しよくしていくことはありませんが、人は、自らの環境を変化させる能力にたけています。

秀吉に追いやられて、江戸を開墾していった家康にとって、江戸は、力を蓄えるのにとても良い土地であったと言えます。また、人の気は、土地から得る良い気により、大きく変化します。風水は、あくまでも、人が主人とならなければなりません。
江戸400年の繁栄の背景には、風水における。択地術にあったと言えます。
まさに、江戸の土地を得たことが、日本が大きく変化できた要因であったのです。


中華五術 暮らしと運の研究所 リンク 中華の基本思想は陰陽五行です。私たち日本においても、文化人、知識人と言われた人々は、四書六経を学びました。東洋五術においても、儒教、道...
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