易経五術 中華五術
中華思想の中に 易経五術、中華五術と言われるものがあります。
この易経五術、命卜相医山を知って運気を良くしようではありませんか。
これは、人の運気 自分の運気をよくする方法として書かれたものです。
命(めい)生まれる前に準備されている運 先祖が準備した運 先天運 宿命
卜(ぼく)易経 紫微斗数 奇門遁甲、祈りなど天に聞く方法
相(そう)手相 骨相 人相、風水 内面が表に出てくる相を読み解く法
医(い)中医学 温灸 お灸 漢方医学 基本経絡、任脈、督脈の流れを良くする法
山(さん)マインドフルネス 心身鍛錬 呼吸法 仙術 人間の心身を完成させるための術法
1番目 命 、先祖が準備した運 先天運 宿命
私が生まれるには生まれる理由があります。
易経五術の命は 運命 天命 と言った出生に関することです。私が生まれるには生まれる理由があります。先祖から引き継いだ命を次の世代につなげることも必要であり、命を無駄にしないということも必要ですが、子が生まれるということは、私の無意識の中に 命の連鎖をと切らせてはならないというがあるのでしょう。
不必要に生まれるということはありません。そのような命の連鎖ですが。生きることが苦しくなるのは遠い過去先祖の中に多くの罪を犯し、精算すべき、場所と時が 重なって多くの重圧が、その人に関わるからです。
長い歴史の中で途切れないで繋がってきた生命ですが、幸も不幸も合わせてつながっています。私たちが不幸のままで生きていく理由は一つもありません。しかし実際格差社会として、私たちの生活環境に現れてきます。
命は、運命、天命と見ますが、天命とは 天がその人に課した責任です。家系を整え、本来あるべき位置と状態に戻すように願って生年月日が決まり、時間が決まります。
そうであるために、
生年月日に その人の運命が書き出されます。
それは、先祖からのメッセージであり伝言といえます。
運命を辞書で調べてみましょう。
どのように書いてありますか辞書によっては、書き方が違うかもしれませんが、
「天のめぐり合わせ、巡ってくる吉凶」
「人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。」
「めぐり合わせ。転じて単に、将来」とあります。
天のめぐりあわせで 人が出合い、その縁が,吉,凶の結果を生み、それによって幸 不幸ともなるし、転じることもあるわけです。
人の意志にかかわらずとはありますが、親は、子がほしいと願って、子を設けます。ただ、男の子が生まれるのか 女の子が生まれるのか、はたまた生まれないのかわからないこともありますが、世界人口の半分ずつが 男女に分かれています。そう思うと何かしらの法則性があって 生命が生まれるとおもえるのです。
命とは、人間の生命に関する術法であり、誕生した 年月日・時刻によって、その人の性格や体質を理解し能力や適性、家族や対人関係 また人生のを判断するものです。
人がこの世に生まれたとき(誕生)
違う人生が出合い結ばれるとき(結婚)
ひとりの命が尽きる時(死亡)
このように、人の誕生、結婚、死亡のこの3期が、人生にとって、命の交差点となります。
本来、自然に分娩され生まれた命 最初の結婚 自然ななくなりかたをするのが、人の命でした。しかし、最近の医学の発展は、人の命を伸ばしてきています。
人の命は大事と言いますが、人は多くの過ちを犯して生きてしまっています。人が増えて殺戮が増え、多くの命がなくなることも多くの不幸を作り出しています。命に対しての考え方は、一つになりませんが,命についての一つの考え方が、古代中華にありました。
2番目 卜 祈りなど天に聞く方法
人と物の事柄に関する術法
易経技術の卜(ぼく)ですが、人と物の事柄に関する術法であり、発生した 時間と方位(空間)によって、その事件の吉凶を占い、成否 を判断し、さらに事態の推移も予測して対処法も示すのであリます。
卜(ぼく)を辞書で調べてみましょう。
亀甲や獣骨を焼いて生じるひびの形により事の吉凶をうらなうこと。また一般に、うらなうこと。うらないとあります。
卜(ぼく)は占であり、占いは、天に聞く方法です。祝詞を唱和し、天にむかって祈ることをしてきました。そこには明らかに、畏敬の念をもって天にいる何者か 神様なのか、仏さまなのか、あるいはあの世に行った先祖に対してか 祈って占ってきました。
古来、人は、鍬を持ち額に汗しながら穀物を得てきました。 天候に左右され、人の人智ではどうしようもないことを占ってきた神事なのです。目に見えないものに対して意識して求めてきました。私たちの不幸の連鎖を断ち切る方法も 卜(ぼく)にあり。祈りにあると見ます。
卜とは、天とのつながり、天に聞く方法
卜とは、不幸の連鎖を断ち切る方法 祈りがある。
卜と聞くと筮竹で、じゃらじゃらして、出た内容で、卦を占うことと思いがちですが、私たちは欲深いので、ほとんどの人間が、自分の中に 自分が信じる卦を持っているので、違う卦が出ると。この人は間違っていると言って違う人に占ってもらったり、いくつもの占術をハシゴしたりします。
卜は、卜占(ぼくせん)とも占卜(せんぼく)とも言いますが、様々な方法で、人の内なるものを探り出し、自分の中に隠れていた秘め事や可能性をあぶり出します。ときには吉に思えたり凶相に思えたりします。
直接鑑定できないものを判断していくので、予言とは違って、未来を言い当てるといったものでもなく 行きたい方向や目的がある場合、その目的、目標に行くための対象を意識した方向へ向かうことを示すことであって、予言とは違います。
人生は二者択一の繰り返しです。 上に行くのか 下に行くのか。右に行くのか、左に行くのか、大きな目的であればあるほど、天を仰ぎながら祈ることも多いでしょう。
八方ふさがりであったとしても、空を見つめれば行く道がある。 そのために卜があると思って心に一つ余裕をもてるなら良いことでしょう。
眠りながら成功するの著者 ジョセフ、マーフィー博士も言っています。
人の内なる秘め事や可能性をあぶり出し。吉相凶相を判断するので、目的目標に行くため
対象を意識した方向へ示すことであって、予言とは違います。
卦(易)は特定の指図を与えない、あなたについて語るだけだ。それを知って解釈するのは、あなたに次に打つ決定権があるからだ。
ジョセフマーフィー博士は 易を研究し 引き寄せの法則を見つけ出しました。
3番目 相 内面の相を読み解く法
人と物の相に関する術法
易経五術の相(そう)とは、人と物の相(形)に関する術法であり、外の 形を観察して内なる性質を理解し、また内性と外形が他に及 ぼす影響も判断していく。
辞書には、
外にあらわれたかたち。ありさま。すがた。内面の本質を示す外面のしるし。 「万物流転(るてん)の相」。よく調べて念入りに見る。よく見てさだめる。人相・骨相・家相等を見る。とあります。内面が外形に表す事を言います。
相(そう)の判断を研究してきたのが五行ともいえます。かたちが与える影響力は大きく。毎日、きれいなものを見ている心は、美しさに順応します。
孔子は、
子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁(じん)。
心が形として現れたことを言っていますが、言葉巧みな好色者が、優れた愛をもっているとは言い難いというわけです。
女性がお化粧をして美しく見せ それを見た人が美しいと感じる また、玄関が美しく 部屋が整っていていい気持ちになることで心が形を作っていきます。きれいなものに触れる 美しいものに接する 自分の周りを整えることにより、心に与える影響も大きくなります。
創世記にも、神はアダムとエバを想像する前にエデンの園という見て美しい 住むのにいい環境を作りました。天帝たる神も環境を作ったので わたしたちの環境は素晴らしいはずなのですが、よくない環境を作ってしまいがち、そのことはまた後日話すことにしましょう。
相とは 内面が外形に出てくること
心の状態が外形としての体、顔、手相としてあらわれる。
4番目 医 経絡、任脈、督脈の流れを良くする法
人の身体に関する術法
易経五術の医(い)ですが人間の身体に関する術法であり、漢方医学や 漢方治療をいう。健康を守るとともに、方剤や鍼灸によって 病気を治していくことです。
人の歴史は、争いと病気克服の歴史でした。何が人を病気にさせるのか、本来、人は幸せになるために生まれてきたはずです。しかし、ひとたび病にかかれば、身動きできません。
今は、医療技術が進み、多くの病気を克服できていますが、それでも、多くの病は、人を蝕み、破壊します。陰陽五行説は、病に対しても分類し治す方法、術を時代ごとに表してきました。
5番目 山 人間の心身を完成させるための術法
人の心身を完成させるための術法
易経五術の山(さん)とは、人間の心身を完成させるための術法であり 、修養によって心と体を強化し、人間の完成をめざすのである。古来、山に入って修行したために山と呼ばれました。
自分の肉体改造のため 山に登る。精神修行のために山に登る。仙術、妖術、仙術を得て、霊力を高めるために山に登ってきました。
山は、神聖な場所、霊山であるため、女人禁制の山も多くあります。
山は自らの心に打ち勝つための修行の場所となりました。
自分の運勢は、いかんせん 自分で何ともならないと 諦めたらそれまでです。
やれることをやるだけでは、変化しないので 「やっぱり変わらない」と思いがちです。
変化の兆しはあるとき急激に変わります。それは、魔が抜ける と感じる時があります。
そのためには、どうしてもある一定の期間 一定の時間 一定の歳月を少し早歩きで歩く期間がどうしてもあります。
私たちは現代に生きて、現実を知り、未来を決定する
私たちの取り巻く世界は、ここ数百年で大いに変わってきています。
個人のことから、隣人、はたまた国家、世界の人を思い、生きている人もおおくいます。ニュースは多くの世界情勢から、穴に落ちた子猫の救出劇まで、多くの情報が飛び交っています。そんな世界に生きている私たちですが、心の根底には(幸せになりたい、幸せに生きたい)と誰しもが幸福を願っています。
巷でいうSDGsにしてもなんのことですか?と思いながらもトレンドな言葉にひかれ、生活しています。隣の国では一食のご飯を食べるのに殺しあったとか言いながら日本では毎日おにぎり1億個廃棄していますとCMが流れています。こんなにも情報にあふれ,科学を学び、文化を学び、芸術を学んでいます。しかしその反面、私はだれなのか、生きる価値はあるのか 死んでしまいたいと言い
幸せは私にはやってこないんだわ、と思うこともしばしば、
科学の世界では、ヒトゲノム計画と言って、人のDNAを解析して、物質世界の探求は大きく進み、遺伝によっておこる病気やけがも予知するまでになりました。
さて、私の心はどうなのでしょういか。
細胞がDNAが、次の世代に引き継がれるように、細胞やDNAに残る記憶や心も次の世代に引き継がれることもあるのかもしれません。「この子おじいちゃんににてるわね。そのくせ、小さいときのあんたにそっくりだね。」と何パーセントかは似てきます。心の中の動きも、多くは、似てくるため、生年月日を見て、この時の星周りはこういう状態だったので、この子はこういった性格や運を持ち合わせています。となるのですが、100%同じということはありません。
伏羲が残した先天八卦に対し、文王がしるした後天八卦があるように、先天的なものを残しながらも、後天的環境によって人の運も性格も変化します。
先天八卦、後天八卦はこちら
皆さんんも、願わざることが起こったり、心の中で考えたくないことや、思いたくないこと、思い出したくないことが、ふっとした瞬間に思い出されたり、思わされたりしますよね。それは、細胞の中に隠されている記憶であったりしますが、自分から見ると自分の心は自分だけのものだと思いますが、先祖から見ると。
見えない世界から、(このように思え、このように動け)と操作されていることが多くあります。
操作されていることがわかるのは、こんなこと考えたくないと思うことがふつふつと思われるとき、この思いは自分のおもいではないなと、気づくしかありません。
そうするために古来より多くの義人、聖人は修業したし、今でもお遍路さんやヨガといったことで何を鍛えているのでしょうか。
心を鍛えるってどーすんだ!
身体をきたえるなら、ジムにゆけ、運動しろ、走れ、歩くのもいいなと様々にありますが、心を鍛えるにはどうしたらいいのでしょうか。
身体を鍛えるには、筋肉や、骨の構造を知って、ここの筋肉もう少し欲しいな、ここのぜい肉いらないやと、目に見えてわかります。
しかし、私の心はどのようになっていますか、どのようになっていますか。
わからないですよね。わからないなら、わかっている人に聞けばいい。わかっている人って誰よ。となるのですが、結論から言えば、それは、自分です。
しかし、純粋に心の構造は、良心もあれば邪心もあります。アベンジャーズにしてもウルトラマン、仮面ライダーにしても絶対悪の存在に対して絶対善が戦って勝つことがベースになっています。
私たちは、自分でわかっているんです。悪はよくない 善でいたいと。
しかし思うように自分の心も自分で操作できずにいます。
そうです、自分の心なのに自分で自分の心を安定できないのは、自分の心を操るものがいるからです。
では、この操るものを消すにはどうすべきか、一つは体を鍛え、体に従わせる。もう一つは、心を鍛える 先ほどから言っているように体は目に見えてわかる、心は目に見えない
目に見えないものをどのように従わせるのか。
中華思想の中華五術の命卜相医山(めいぼくそういさん)には自分を知る方法が多く描かれています。
5番目にお話した山には人間の心身を完成させるための術法であり 、修養によって心と体を強化し、人間の完成をめざすのである。古来、山に入って修行したために山と呼ばれました。とあります。
現代風でいうならyoutubに多くの情報があるようにヨガ、マインドフルネスをやるのもいいでしょう。ただし、ある一定の時間、一定の期間、一定の歳月を費やす必要はあります。
お釈迦さまも最後の関門で、得も言われぬ美しい妖女に誘われてその期間を越えて、菩提樹の下で悟られたとあります。まず自分が何者で、何をして どのようにしたいのか 自分の立ち位置を知り 行くべき方向がどちらなのか 何を目指すのかを決めることから始めてください。ね