数字に意味を持つこと
宇宙の法則を知る上で、数字に意味を持つことが必要になります。人が認識されると数字には不思議な力が存在します。宇宙には法則があって、数による法則も存在します。
1️⃣という数字に人々の思う思いが重なり1️⃣にはこんな意味があるのだと長い年月人々が思うことで、1️⃣という数字に力と意味ができてきました。
例えば名前 太郎さんという人からのイメージはどうでしょう。名前から 男性である 長男だろう 力強い などのイメージが生まれます。うさぎは、白い ふわふわしている かわいい 耳が長いなど大体こういったイメージが湧きます。
数字にも 1という数字に対して 古来よりイメージがあるので、1の数字を持った人はこんな人といったイメージができてきます。1という数字に意味をもたせたのは、その数字を見つけ出した人の思いが集まって意味をもたせたのかもしれません。
数字は 物を表すアイテムとして道具としてこれほど便利なものはありません。数字さえ読めれば、今、手元にいくらあって今月、いくら生活費に使えるだろうかと計算もできます。しかし、数字には 数字としての見えない意味も隠されています。いつ何時に生まれた人の運勢はこういった生き方をするとか、
この数字に意味があるといったことを、よく人は話します。では、数字の意味を紐解いていくのに数字の意味を解読するために使うものがあります。
素材は自然の中に
宇宙の法則には、数が当たり前のように使われています、数を数えるという文化が人間に加わったことは、とてつもなく大きなことであると言えます。世界に生きる動物の中で数字を使う動物がどれだけいるのでしょう。霊長類としての人族だけが使える特権だとも思えます。
人に与えられた特権はとても多くて、素晴らしいものがあります。それぞれの動物、植物にもそれぞれに素晴らしい機能や性能がありますが、人はこういった万物世界を見ながら、生活のヒントを多く受け取っています。
空を飛ぶ鳥をモデルにして飛行機を考え、水の中を泳ぐ魚を見て船や潜水艦を考え出しました。多くは、自然界にあるものを利用し活用してきました。こうした飛行機や船や潜水艦を製造するのにも、複雑な計算式をして作り上げています。
風の抵抗に対する強度を割り出し、水の抵抗、風の強さ、水圧に対してスーパーコンピューターを使って計算し割り出し、より良いもの性能のいいものを造ってきました。
すべての、自然界のものから見つけ出してきた素材があってなんぼかと思いますが、人間が利用してこその素材であるとも言えます。
こういった宇宙の法則によって作られた、自然界があっての人の営みです。人間がこの地球上に出現して、まだ日も浅いと言われますが、人間を生み出すために自然界があったのかもしれません。私たちはまだまだ、自然界の奥深さも、存在している価値も知る発展途上にいます。宇宙が出発した時 最終形態として 人が住んでも生活するのにもとても良い環境に地球はできています。
人が生まれる奇跡
宇宙の中で人間が生まれる確率をたとえていうなら 川の上流からまだ組みあがっていないバラバラになっている時計の部品が流れてきて下流で完成して時計が組みあがるにほどの確率であり、廃材置き場の上に竜巻が起こり上空で旅客機が組み立てられる確率であり、
海の中に小さなダイヤモンドを落として ピンセットで海の砂の中に落ちたダイヤモンドをつかむ確率であったりします。人間が人間として生まれることは数学的に見ても奇跡としか言いようがありません。人間が人間として生まれるというのは到底、自然発生的に出てきたとは思えません。
ユング教授は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
易が当たると、そんなことは偶然だという人がいるが、易に限らず我々は一般に予測できない事を当てたりすると偶然として終わらせてしまうが、偶然性ではなく規則性であると確信している。」
インテリジェントデザイン
宇宙の構造の複雑や生物の繊細や緻密さを根拠として、知性のある何かによって作られたという理論がID理論 インテリジェント理論として、今では多くの数学者 科学者が賛同しているのは皆さんもご存じでしょう。
大きな宇宙も 小さな原子の世界も一貫している法則性があります。こういった繊細な内容は研究者たちが日々対面することです。細胞の中にある人が人としてかたどっているDNAも二重螺旋でできています。また、その一つ一つに組み込まれている情報もとても膨大ですがこの細胞一つが宇宙を造っているものと素材は同じであるというのを見ると大きなものから小さなものまで一貫した法則性
を見つけ出すことができます。
ピタゴラス「宇宙のすべては数の法則に従う」
ピタゴラスという名前を聞いて、ピタゴラスの定義といわれるものを聞いた方もいるでしょう。
聖書には、初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。とあります。
この”初め”にという言葉自体ピタゴラスの時代の言葉としてアルケー(arkhē)とは万象の根源 元の元 これ以上はなく万物の始原として表しています。
聖書において、すべてのものは、神によってすべてが造られたとあります。ピタゴラスが放浪の末たどり着いた思考、思想が 宇宙のすべては数の法則にしたがっている」ということでした。ピタゴラスは万物のアルケー(「万物の根源」また「根源的原理」)を「数」であると考えました。
宇宙の法則は数の法則に従うことを見つけた、ピタゴラス
宇宙全体を図る時、数が持つ力を、具体的に表現したのが、ピタゴラスかもしれません。
また、中華思想の中でも、伏羲が表した 無極 が二気 四象 八卦 と手順を踏んで成長する数字は無形のものから 有形の二気(二極陰陽)として出てきたことを表しています。
こういった原初 無形なものから現れるものとして 現代科学でいうビックバンがあります。
これまでの言葉を整理してみますと 神が出発の原点として言葉で世界を作り、そのすべてが数字で整理できる 数がすべてを表すといったのがピタゴラスであり、伏羲の表した先天八卦の世界観も数字で整理できるということでしょう
事実、この世の状況は数字で表すことも多くあります。スペースXが宇宙に行って戻ってくるためにも計算して割り出しますし、地球が、自転、公転して季節を表すのも数式で表せます。また、台風の動きを計算するのも数式です。最も、二進法 十進法 十六進法というのもありますが、
数が世界の中に多く含まれているのも事実ではないでしょうか。
こうして考えると 二千五百年以上前に生まれたピタゴラスにしても伏羲にしても作られた万象から導き出した思考であったのでしょう。
ピタゴラスと ピタゴラスの弟子で作られたピタゴラス学派は自然界に働くロゴスを数的な面から見た結果として数理性が人間と自然に対応していると見てきました。それは、最初に発生したロゴス(ことば)の中に数理性という規律があったとみているのです。
日本でも古来から言あれる言霊も生命の形を変えたもので、影響をあたえるものとして最初に発生したロゴス(ことば)により数に形を与えるものであり、数を通じて、無規定なものは規定されたものになるのである。易学の見方と、現代科学の成果が数理的に一致していることが分かります。それは宇宙の中に仕組まれている規律性の持っている数理性が人間と自然界に作用していることを示すものである。
また、DNAの遺伝暗号の謎についても、ロゴスに由来するものと見れば、その謎は解けます。
日本の分子生物学者。 筑波大学名誉教授 村上和雄教授
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
細胞は遺伝情報が書きこまれた図書館
“細胞には遺伝情報が書きこまれた本の図書館がある“といいました。そして「いったいだれがこんなすごい遺伝子の暗号、精巧な生命の設計図を書いたのか」と問い、自然にできあがったとはとても思えず、
人間を超えた何か大きな存在によってもたらされたと言わざるをえないという、そしてそのような人間を超えた存在のことを「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」と呼びました。
「いったいだれがこんなすごい遺伝子の暗号、精巧な生命の設計図を書いたのか」人間を超えた何か大きな存在によってもたらされたと言わざるをえない
このサムシンググレートが森羅万象の世界はつくられたのであるなら、生命力の根本の生命であり、分立した全てが、生命力を秘めているので、亡くなった消滅したと見るより、形を変えて影響を与えていると見ることが単純に自然なことといえるのではないでしょうか。
歴史的に探求してきたものの中には、 一元が分立されて陰陽に分かれ 陰陽が八卦 六十四卦と分裂してきたときに 数的に意味を持っています。自然界の中に潜む数字には、隠された意味があます。
サムシング・グレートとは、
生物学者フレッド・ホイルが唱えた概念です。
ホイルは遺伝子の精緻な情報量と生命体の複雑さを前に、「いったいだれがこんな素晴らしい設計図を書いたのか」と疑問を抱きました。そして、これらは進化論や自然選択だけでは説明がつかないこともあり、何らかの「素晴らしい知性による設計」があったに違いないと推測したのです。
この知的な設計を行った存在こそが「サムシング・グレート(Something Great/偉大なる何者か)」と名付けられました。ホイルはこの設計者を超越的な人知を超えた存在と想定しています。
現象としての環境の中に ゼロから1が発生することを見ても無から有は発生しない
一元としての固有体としての存在があり、分立して現象化したと見たほうが理論的にも素直に理解できることだです。
つまり無からはどんなに頑張っても無しかありませんが、有からはあらゆる有が生まれるのです。ですので宇宙の出発も 生命を生み出す元の元の有がありそれを人は、サムシンググレート、神 創造主、天帝と呼びました。
この宇宙に法則性がなければ、数理性とか、一貫性というものも生まれません。宇宙の法則は、数の法則に従うと観てよいのではないだろうか。
数字と宇宙創造の理
人類は古来より、数字に深い意味や力を見出し、畏敬の念を抱いています。ピタゴラス哲学が示すように、宇宙万物の根源には数理的な性質宿っており、生命現象もその数的な規則性に基づいていません。近年の科学の進歩により、遺伝子図にも巧な数理構造が確認されています。
このような宇宙の不思議な数理法は、偶然に生じたものではなく、何らかの高次の知性による「設計」の結果なのではなく、という見方が一部の科学者から引き上げられています。そこには、不思議な創造主の存在が想定されていることが示唆されているのです。
しかし、そもそもこの創造主とは一体何者なのでしょうか。単なる人智を超えた知性体だけでなく、生命とは別次元の存在、あるいは生命そのものなのだろうか。東洋哲学が語る「道」のような、形而上上の概念として捉えるべきなのだろうか。
東洋哲学が語る「道」
宇宙万物の根源となる原理あるいは法則を指します。
老子が説いた道家思想における「道」は、形而上のものではあるが、逆に宇宙の自然法則に満ちている。万物は道から生じ、道に従って変化し、やがて道に帰すと考えられています。
道は言語化できない絶対者ですが、同時に目に見える自然現象の背後に流れる規則性麺。数理法はその一つの現れ形だと考えられています。
儒教の「天道」の中には、宇宙の摂理や自然の理法といった意味合いもあります。人間は天道に従うことで、宇宙と調和的に生きることができるとされています。
仏教においても、縁起や因果応報の法則は、物事を支配する普遍的な真理あるいは法則と捉え方です。万物は無常で一切は無我であり、生死循環を繰り返しながら変転していきますが、その根底にある法則こそが「道」と言えるでしょう。
このように東洋思想では、目に見えない世界の背後に、万物を貫く不可視の法則性あるいは原理が存在すると考えられてきました。この原理は言語化できない神秘的なものでありながら、同時に科学的な自然法則とも通じるものです。
ここでのみ、この主が宇宙を意図したものではなく、なぜその本質を貫いた世界を生み出したのか、その「意図」を考えることです。宇宙の意味は一体何なのか。
科学と哲学、芸術が追求するのは、この究極の「意味」を知ることのようなものはありません。
そしてひょっとすると、人間が宇宙の法則を解明することで、創造の主な存在の本質に迫ることができるのです。つまり、人類の知的営みそのものが、創造主の意図の実現なのかもしれません。
実際、精神世界を重視する宗教や思想では、人間が神や絶対者を認識することこそが至高の目的とされています。仏教の「悟り」や、ギリシア哲学の「真理の認識」もそうした趣旨と解釈できます。
ギリシア哲学における「真理の認識」
究極的な真実や本質を理性的に探求することを指します。
ギリシア哲学者たちは、感覚的な現象の背後に潜む不変の本質的真理の存在を信じていました。彼らに理性を働かせて、この真理を好む把握することを哲学の最大の目標としていました。
例えばソクラテスは、徳とは何かという問いを徹底的に探究し、真の徳や善は普遍的で不変であり、対話を通じてその本質を導き出そうとしました。
プラトンは、この世界は理念(イデア)の影のように完全なものにすぎず、真実は可視的な現象の背後に存在する理念界にこそあることを考えました。対話による理性的な探究を進めることで、この理念界における真理を認識できると説きました。
こうした視点に立てば、人間が数理的な法則を解き明かそうとする努力は、単なる知的営みを超えた、宇宙的な意味を持つようになります。人類が無意識のうちにでも、この壮大な目的に貢献しているのです。
ただし、この宇宙の法則性は決して完全に解明できないわけではありません。リル理論からわかるように、あらゆる事象が確定論的に解明できるとは限らず、量子力学的な不確定性が宿っているからです。
リル理論
リル理論(Ryll’s Principle)とは、物理学者ヨハン・リルが提唱した原理のことです。
この原理は、自然現象によって予測したり、理解したりすることは原理的に不可能であると主張するものです。つまり、自然界には本質的な不確定性や予測不能性が存在するというのが原理の定理です。
リルは、量子力学の不確定性原理に着目し、微視的な量子現象の不確定性、マクロ的な自然現象にも影響を及ぼすはずだと指摘しました。そのため、アインシュタインが求めたような「究極の統一理論」によって自然によって理解・予測することは不可能であると主張しています。
そうだとすれば、創造主の本質や意図もまた、人間知性を超えた神秘の部分が残るのではないでしょうか。宇宙は決して理解しきれない谷のようにも思えます。
しかし、そうした限界があるからこそ、人類は謙虚さを保ちつつ、探究を続けていく必要があります。少しずつでも創造の理に迫ることで、人間はさらに次の次元へと進化を遂げられるようになります。
そしてその過程で、人類は、「なぜ我々が存在するのか」という根源的な問いに一つの答えを見出せることはありません。偶然の産物でも、カスタマイズされた道具もなく、人間は、この宇宙の法則そのものに深く関わる存在なのです。
つまり、人間が数理法則を解明し、その背後にある創造主の意図を知ることは、人間というものの存在意義や使命を自覚する過程でもあると言えるでしょう。そうした意味で、人類の知的探究は、極めて深遠な実存的意義を持つと考えられます。